狭山丘陵(11/28)

車を駆って狭山丘陵をぐるり。
紅葉真っ盛り。
所沢から武蔵大和へ抜ける3キロほどの道は「紅葉海道」。
野山北公園の駐車場に車を入れて、狭山丘陵の尾根道を少しアップダウン。
車で東大和市の狭山緑地へ移動して緑地内を散策。
今年の秋は近場で満喫しました。
狭山丘陵はどこにもクロスジフユシャクガが落葉の上をゆらゆらと飛んでいます。
枯れ葉が蜘蛛の糸にぶら下がって風に揺れたいました。

車を駆って狭山丘陵をぐるり。
紅葉真っ盛り。
所沢から武蔵大和へ抜ける3キロほどの道は「紅葉海道」。
野山北公園の駐車場に車を入れて、狭山丘陵の尾根道を少しアップダウン。
車で東大和市の狭山緑地へ移動して緑地内を散策。
今年の秋は近場で満喫しました。
狭山丘陵はどこにもクロスジフユシャクガが落葉の上をゆらゆらと飛んでいます。
枯れ葉が蜘蛛の糸にぶら下がって風に揺れたいました。

昔、物売りの代表選手だったのが、朝の「納豆売り」でした。
戦前、小学校入学前に世田谷の下馬に住んでいたころのことです。
冬の朝、まだ寝床を離れがたい目覚めの時間「ナット、ナット、ナット~」の売り声に思わず「ナット屋さ~ん」と呼びとめてしまいました。
母親はあわてましたが、やむを得ず納豆を買い求めました。勝手に呼びとめた私は叱られてしまいました。ダメージを受けるほど激しく叱られたわけではないのに妙に記憶に残っています。
納豆が入った藁苞(わらづと)の腹から割ってでしたのも懐かしい思いです。
その後、経木で三角に包んだものが主流になりましたが、今は紙カップか葉っぽースチロール入りです。
納豆売りは戦後も暫く孝行息子の仕事として残っていました。
「納豆売り呼び止め」事件以来納豆好きのレッテルをはられることになりましたが、今でも納豆好きは変わりません。
納豆には、ネギや青のり・辛子は定番ですが、茄子や大根の葉の古漬けを刻んだのを混ぜたり、大根おろしを入れたり色んなバリエーションで楽しんでいます。
お陰で朝食はほとんどパン食はしません。納豆は優れた健康食でもあるそうです。

去年、クロスジフユエダシャクガが森一帯に舞い始めて感激してから一年が経ちました。
律儀な彼らは今年も敷き詰められた枯れ葉のを飛び交い始めました。
舞い飛ぶ様子をしばらく目で追っていると一年の間どこで過ごしていたのか、輪廻転生の不思議を感じます。
今年も自然観察の小学一年生と出会いました。
どんぐり拾い、落葉集め、虫探し、観察ノート、落葉シャワー遊び、とそれぞれ班に分かれて賑やかでした。
いきものふれあいの里センターの若いガイドさんも大活躍。

荒幡富士・所沢市民の森一帯、秋が深まっています。
「♪秋の夕日に 照る山もみじ」と詠われていますが、もみじは確かに日の光が当たって赤色が鮮やかです。
もみじの葉いちまい一枚を見ると色が黒みがかっていたり、葉の先が枯れ始めていたりで「持って帰って焼き魚や刺身のつまにしたい」と思える葉はなかなか見つからないものです。
ところがもみじ枝ごと日の光を一杯に受けるとみごとに紅く輝いて見えます。
所沢市民の森の木々も昨日より今日はいっそう黄色く光っています。
藪の中でウグイスの声がします。姿は見えませんが小鳥がガサゴソと藪の枯れ葉を鳴らしています。影を見ようと藪の中に一歩踏み込んでみましたが見つかるはずもありませんでした。
藪から出るとズボンの裾にも、トレーナーの袖にも草の種がいっぱい着いてしまいました。手で払ってもなかなか落ちません。家に帰ってガムテープでようやく落とせました。
森の出口で、クロスジフユシャクガを3匹見つけました。
小春日和の心安らかな散歩。

(財)日本漢字能力検定協会が今年の漢字を募集しています。
今年は同協会の不祥事もあって不快感から一度もアクセスしていませんでしたが、年賀状の準備をしていて「今年の漢字」のことが気になって久し振りにアクセスしてみました。
去年は「変」を的中させました。今年は政権交代などもあって変化の兆しはかすかに見えますが、さて今年の漢字を何か明るい希望に満ちた「漢字」をと考えても「友愛」の愛も、直江兼続の旗印の「愛」も少し遠い感じです。
不況は国民生活を一層困難なものにしています。
そこで已む無く「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」の「忍」の一字に託してみました。
来年こそは何か夢のある漢字に一票を投じられることを期待したいものです。
「緩やかなデフレ状態」と政府が警鐘をを鳴らしました。
テレビでも「物価の下落→企業業績悪化→給与削減→需要減退→物価の下落」でデフレスパイラルになって誰にとってもよくないことだと言っています。
「風が吹けば」の「風」はルールなきグローバル化かもしれません。
グローバル化による国際競争力を維持するためと称して給与を下げたり不安定雇用を増やしてきたことが、給与の減少や不当廉売の引き金となって物価下落をもたらしているとしたらグローバル化がもたらしたデフレともいえます。
フェアトレードに反します。大企業や商社が優位性を武器に不当な返品や値引き要請は独禁法で禁じられているはずです。
そもそも20年近く給与所得ばかりでなく年金も含めて可処分所得が減っているのです。
グローバル化が所得の減少の原因だとするなら、物価が下がって当たり前のような気がします。(賃金の安い海外で生産したものを売るのですから) これはデフレとは違います。
ルールなきグローバルも大問題です。ある国で低賃金でものを作って輸出していればそれは本来「労働搾取」です。そうして多大の利益を上げた「富裕層」が海外に投資をします。
その投資が過剰だとすれば投資された国の経済に混乱をもたらすことにもなりかねません。
日本も一時期ニューヨークの不動産を買いあさり、アメリカ国民から顰蹙を買ったことがあります。
今、中国人の富裕層が日本の不動産を盛んに買っていると聞きます。
去年はイギリスの投資会社の電源開発株の大量取得が問題になりました。
日本航空の問題でも、ナショナルフラッグとして守りたいと思うのは国民感情として当然です。
こうなるとルールなきグローバル化はナショナリズム思考を助長しかねません。
デフレ対策は必要でしょうが、借金漬けの日本では財政支出もままなりません。金利政策もすでにないに等しい低金利で打つ手はあまり残されていません。
経済的にはかなり厳しい状況です。
給与の増額や雇用の回復を前提に価格協定でもやってダンピングを止めたり、不当な安値輸入に関税をかけるなどして悪循環を止める荒療治が必要なのかもしれません
うす暗く肌寒い日曜日になりました。
昨日。
朝刊、落合恵子さんのエッセイ「積極的その日暮らし」に共感しています。
今朝、エッセイを読んでいるときに窓から日がさしてたのに促されて、散歩に出かけるこ
とにしました。
今日のお題が「爪を切る」。
気がつくと足の爪が延びていたので、広げた新聞の上で爪を切り始めました。「苦髪楽爪」とは楽をしていると爪が伸び、苦労が多いと髪が伸びるということらしいのです。
時間がたっぷりあるということはやはり楽をしていることになるのかもと思いながら、そういえばウォーキングダイエットのお陰でお腹のぜい肉がとれて、以前に比べれば随分爪を切るのが「楽」になっています。
荒幡富士を抜けて多摩湖(狭山公園)まで。
青空に白雪の富士を期待していましたが、思いのほか遠くは霞んで富士山は見えませんでした。
途中、キセキレイを見かけたのが今日の収穫。多摩湖周辺の写真を数枚写してきました。
穂が真っ白なススキと紅葉のコントラストが湖畔の晩秋らしい風景でした。

科学技術立国を目指さなければならないのは、国民共通の認識です。
戦後もの不足のころ、神田に露店の電気街ができて後の秋葉原電気街の原型になったそうです。
戦後、雑音ばかりのラジオの裏ぶたを開けて真空管をいじり回したのも技術立国の原点のひとつです。
そんな日本人の努力を知らない韓国や台湾や中国に追い越されたなどと考えたくもありません。
スパコンの開発・建設はじめ国の研究開発投資の予算について刷新会議の事業仕分けで「見直し」が提言され、多くの研究者や技術者から「技術立国日本」の将来を危惧しての「見直し反対」の声が上がっています。
国民誰もが日本の技術力に誇りを持っています。当然の反論かもしれません。
スパコンについてはまだ世界のトップクラスを競っているものと信じていましたが、なんと「31位」だそうです。
あえて苦言を呈するなら「遅れをとっている」と平然と言ってのける科学者や技術者の責任も問われています。しかもスパコンは平成24年完成とのことです。遅れを危惧するなら、ダム建設ではないのですから「先行投資」として借金をしてでも早期に完成させるという気概を持ってほしいものです。参加企業の撤退も残念です。
技術ばかりでなく日本の誇ってきた多くの分野(例えば教育・医療)で先進国とは言い難い遅れをとってしまったのは残念です。
女郎蜘蛛が森周辺にはびこり始めた彼岸から丁度2カ月が過ぎました。
流石の蜘蛛たちも木枯らしの吹き始めたここ数日の寒さからか産卵を済ませて次の世代にバトンタッチしたようです。
消え残った巣には枯れ葉が引っ掛かって無残に残骸を残しています。
多くの虫たちが姿を消して行きましたが、木の小さな洞(うろ)にはよく見ると昆虫の卵らしきものや幼虫と思しきものがついています。
時折、スズメバチが威嚇するように目の前を飛翔していきます。もうじきシャクガが一斉に羽化する頃です。

先日ゴルフ場のウォーターハザードに飛び込んできた鴨たちもしばらくは居ついたようです。
行政刷新会議の事業仕分けの前半戦が終わりました。
やり方に賛否両論があるのは当然ですが、前の政権党の幹部はどうもネガティブな発言が多いようです。
野党として批判や反論は大いにやって欲しいと思いますが、もっと建設的な発言を期待しています。
エキセントリックな発言ばかりだと、再浮上は期待できません。
一部ですが仕分けの様子はインターネットで見学しました。一時間という短い時間ですが細かい指摘もされていました。
さて、「爪で拾って」も「大きな魚」を逃しては元も子もありません。一応の仕分けが終わった段階で、調査結果をもとに更なる成果を期待しています。
無駄な公益法人や無駄遣いを徹底的に洗い出して欲しいと思います。
官民格差の一つの象徴でもある「共済年金制度」の改正は、年金制度の抜本改革まで待ってはいられません。
日航の企業年金減額なら「共済年金の特権」の廃止も必須です。

4人の小グループで飯能に行きました。11時狭山ヶ丘駅集合。
ご案内役を買って下さる飯能事情に明るい方の車で、飯能の武陽山・能仁寺へ。
能仁寺は天覧山を借景にした静かな庭園は一見の価値ある名刹です。
紅葉も今が盛りで予期せぬ紅葉狩りに一同皆感動しました。
ご案内頂いた方に教えていただいたのですが、参道に並ぶ古色の燈篭の中に、大岡越前守献納の燈篭がありました。
これも予期せぬ感激の一つになりました。
参拝のあと標高195メートルの天覧山に登りました。秋の日差しもあって汗をかきながらの山道。山頂では奥武蔵の山々、遠くに霞んで富士山もかすかに見え、足下に飯能の街並みの眺望も絶景。
ひと汗かいて宮沢湖へ。数年前は子供の遊園地になっていましたが、今は温泉施設ができていました。(少子化で子供の需要より、高齢化で中高年の需要が大きくなったのかもしれません)
宮沢湖に着いたときには2時。久し振りにかなりの空腹感で、ともかく贅沢言わずの昼食。食後、温泉にはざぶんと使った程度になりました。
好天に恵まれて、紅葉を楽しんだ一日になりました。感謝
インターネットで事業仕分けを見ました。
画期的試みです。政治や行政が一歩国民に近づいてきました。
やり方にはいろいろ問題もあると思います。

時間が短すぎて、議論が煮え切らないとか、外目には各省の吊るしあげに聞こえたりも します。
選択された事業の妥当性も分かりません。確かに聞いている雰囲気では省庁サイドが一方的に詰問を受けて、防戦一方の印象です。
官僚サイドとして、「公開処刑」だと嘆くのも無理からぬところです。
でも仕分けされた事業ですんなり「これは素晴らしい事業だからもっと予算を付けては どうか」というのは一件もなく、廃止・見直し・予算縮減・移管などと仕分けられてい くのを見ると、従来の予算決定のメカニズムの杜撰さが明確です。
勿論、この仕分けが絶対のものではなくこのまま廃止しては大きな影響を受けるところもあるかもしれません。
この仕分け作業によって今、何兆円削ろうということではなく、基本的にどうすれば行政の無駄を排除し、効率化できるかを考えて直ちに実行して欲しいものです。

昨日は立冬。今朝の曇り空はそんなに寒くはないのに出足を鈍らせる冬の気配を感じさせるのは、気のせいでしょうか。
ちょっと踏ん切りをつけて、新聞を畳んで出かけました。
健康維持のためとはいえ、しょっちゅう同じところを歩くのですから、何か昨日とは違うことを期待しています。期待通り必ず何か違うことがあります。
今日は、散歩道の縁にある西武園ゴルフ場のウォーターハザードに突然鴨の群れがザーッと飛び込んできて着水。数えたら9羽。どこか北国から渡ってきたのかそれとも近くの池からちょっと遊びに来ただけなのか。
そういえば、女郎蜘蛛はもうほとんどいなくなりました。巣ごとなくなっているのが多いのはちょっと不思議です。巣は高タンパクで蜘蛛が食べると聞いていますが、本当に食べてしまったのでしょうか。産卵は無事すんだのでしょうか。
巣の残骸の糸に、枯れ葉やどんぐりがぶら下がって風に吹かれて揺れています。糸が曇り空に溶け込んで見えないのですから、空中に浮いているように見えます。
季節の移り変わり、一年という時間の短さを想いながら・・・・

日航の経営危機に伴う公的資金の投入に当たって退職者の年金受給額の減額が条件とされています。税金が投入されるのですから、現状の高額な年金受給を認めるのでは国民の理解は得られないということのようです。法律の上では年金受給権は保護されているのでしょうから簡単に決められることではないと思います。
さて振り返って、国の財政は多分日航以上に危機的状況であることは、今や国民誰もが知るところです。こうした状況にあっても公務員共済の優遇(年金の官民格差)は放置されたままです。
「年金の一元化」の前に共済年金受給額の減額は来年からでも実施すべきです。遺族年金の受給にまで格差があること自体、国民をばかにしていると思います。
共済年金は現実的にはもう破綻していて、毎年税金が投入されていると聞きます。
国民の目から見れば日航の高額年金どころではないと思います。
「過ちては改むるに憚ること勿れ」
財源が逼迫しているのですから、来年度でも変えられるところは、(例えば遺族年金分の官民格差の撤廃)直ちに実施すべきです。

土曜日朝刊、落合恵子さんのエッセイを読んでいるとき、雲間からさーっと日が射して、新聞を照らしました。
それを合図に家内を誘って彩の国食と農林業ドリームフェスタに行くことに。
先日テレビコマーシャルに誘われて通販で買ったウォーキングシューズの履き下ろし。
駐車場の混雑を覚悟していましたが、幸い1台待ちですんなり。
テントに県内の特産品の野菜、乳製品、食肉、花きなど展示即売。景品付きゲーム、クイズ。
ぶらぶら歩いて冷やかして、荷物にならないちょっとした食材を買わされて、それもまた楽しくて。
普段ウォーキングのときは通り過ぎるだけの日本庭園の中にある喫茶室で抹茶と和菓子のセットで庭園に咲く山茶花を見ながら一服、といっても
NOSmoking。
公園内を少し歩き足して、ミューズのレストランで昼食にピザ、パスタ。
お天気に恵まれて・・・・朝刊の続きは夜読むことに。

CO2排出量、90年比25%削減という国際公約の実現に向けて、政治も行政も産業もアクションを撮り始めています。
最近、太陽光発電のセールスの電話が時折かかってきます。
私たちの年齢では償却期間まで命が持ちこたえられませんし、屋根にパネルを載せるにしても、建物の耐用期間もあって設置することはできません。
太陽光発電による電力の倍の価格で全量買い取る制度、国や地方の財政支出による設置費用の補助制度がスタートしました。
私たちも孫の世代に奇麗な地球環境を残してやりたいと老妻と何時も話しているのですが、新しく設備をするのは難しい状況です。
また仮に太陽光発電設備をしても老人だけの所帯ではもともとエネルギー消費は少ないので効果はあまり期待できません。
ひとつ心配なのは太陽光発電による電気の買い取り価格による電力会社のコストアップ分は全所帯で負担することになります。
これでは、太陽光発電設備を設置できない、高齢者や貧困層に負担がかかります。
消費電力の少ない家庭(=CO2排出量の少ない家庭)の電力価格を安くし、大邸宅で大きなテレビや冷蔵庫や何台もエアコンを使っているような家庭の電力価格を割高にするなどきめ細かい価格設定が必要だと思います。

本当は入間航空祭に行くつもりでしたが、人ごみを敬遠して・・・・
荒幡富士から車で所沢航空公園へ向かいました。文化の日の休日とあって幾つかある公園の駐車場はどこも空き待ちの車が並んでいましたが、幸い最後に行った東側の駐車場に1台待ちで入ることができました。
沢山の人が来ていて、盆ダンスの練習する子供やコーラスの練習をしている若い女性のグループなど思い思いにピクニックを楽しんでいます。
銀杏もすっかり黄葉していました。
文化センターでは美術展、地元の愛好家の力作を楽しませてもらいました。喫茶室暫く息抜きをしてきました。


戦前の明治節(明治天皇の誕生日)が文化の日に巧く衣替えしました。
確かに文化を寿ぐにはいい季節であるように思います。
前夜来の雨と木枯らし1号もようやく治まって風はまだ冷たいものの絶好の「文化日和」になりました。
澄んだ空に今日は富士山もよく見えるだろうと歩いて10分の荒幡富士へ車で出かけました。
荒幡富士の頂上は数人の人で賑わっていました。「富士山も大きく見えて360度見晴らしがいいね」という人。
今日は「入間航空祭」で遠く入間の上空を双眼鏡で見ている人。
暫くして、4機が編隊を組んで頭上を通過して行きました。
双眼鏡で見ていた人が、「見てみませんか」と貸してくれました。
水平飛行から真っすぐ上空に向かって急上昇する光る機体が見えました。
気になっている女郎蜘蛛、昨夜からの急な寒さで心なしか随分少なくなったような気がします。9月22日に巣が多いのに気がついてから凡そ一か月半彼女たちの秋も終わろうとしているのかもしれません。

最近になって、荒幡富士を訪れる人が少し増えてきたようです。
数日前、いつもように荒幡富士への道で女郎蜘蛛の巣の糸の張り具合を見ていると、後ろからグループで登ってくる足音と話し声が聞こえます。
10人ほどの年配の男女のグループが「おはようございます」と声を掛けながら私を追い越して行きました。
後ろの方を歩いていた年配の女性が先頭を行くリーダーと思しき男性に「今日で何回目?」と聞くと「この間下見に来ているから」。
私は少し遅れて荒幡神社に着きましたが、境内には保育園の子供たちが保育士さんに連れられて賑やかに遊んでいました。
自分も高齢者で、時には仲間同士連れだって遊びに行くくせにどうもシルバーグループには訳もなく違和感を感じてしまいます。
ゲートボールに抵抗感を持ったままなのは、まだ半人前と反省しなければいけないのに。
小さな子供たちには、何時も嬉しい気分をもらっています。ついつい話しかけて見たくもなります。小さな子どものエネルギーです。
最近のコメント